In response to...

昨日のエントリには大反響をいただきましてありがとうございました。正直、びびっております。はてな記法にもまだ慣れていないというのに。
さて、ブコメやコメントを多数つけていただきましたが、そのうち追加の解説が必要だと思うものをいくつか取り上げさせていただきます。なお、idコールした面々については敬称略ですがご了承ください。

id:fromdusktildawn

残り75%は太陽以外の要因ということだが、それが全て人為的要因であることがどうして分かるのかが気になった。その後は、コペンハーゲンコンセンサス的な話になる。

 前段については素人目に見て、おおよそ2通りのアプローチが考えられます。それ以上は専門外なので分かりませんが。

  1. 人為的な影響がほとんどないと考えられる産業革命以前の気候変動が、おおかた太陽の変動と対応していたのでしょう。太陽の11年周期の影響が0.1℃程度の精度で相関していたことを考えると、これはおそらく正しい。0.1-0.2℃の変動幅の内7割とかそれ以上は説明できるのだとすると、太陽以外の自然変動の影響はどう大きく見ても0.05℃を大幅に超えることはない。そのうえで今起こっている温暖化が0.6℃程度だとすると、人為的影響でも太陽の影響でもないものは最高でも10%程度だろうという見当はつけられます。産業革命以降に突然、「その他自然変動」の影響が大きくなったかも知れない、というのは、あり得ない話ではありません(なので研究はなされるべきです)が、若干都合のいい想定ではあります。
  2. 人為的な影響のシミュレーションで太陽以外の変動を説明できたのでしょう。気候モデルは単なる線形の高次関数に係数を付けるような簡単なお仕事ではないわけで、物理学的な基礎を無視した重みづけは当然できないという制約があります。そのうえで太陽+人為の影響で気温の変動がよく説明できたのであれば、さしあたってそれ以外の要因はさほど大きくないと考えるのは、今のところ妥当でしょう。

 そしてコペンハーゲンコンセンサスについては、最近、その主催者であるロンボルグの話がごく一部で話題になりました。
ビョルン・ロンボルグさんという@「温暖化の気持ち」を書く気持ち
ロンボルグが転向。巨額の気候変動対策の必要を認める@気候変動覚え書き

 ロンボルグももともと、気候変動懐疑論というよりは、気候変動対策が得られる効果の割に高くつきそうだ(からそれに投資するのは無駄だ)という主張でした。それが、最近ではもうちょっと対策に対して積極的に投資すべきではないかという論調になっているようです。これまでの議論のどこに修正が入ったのかまでは追えていませんが(割引率の設定が一番もめていた印象があるのでそこかなぁと何となく思っていますが)、ご参考まで。


id:mujisoshina

この記事だけを見て原典を自分で確認せずに納得してしまったのでは、元記事に騙されたのと変わらないんだよね。

 いや全くおっしゃる通りで、そこはぜひとも皆さんにも頑張っていただきたいところ、ではあるのですが。何を以て納得すべきかというとこれもなかなか難しい。みんな相対性理論をどこまで自分で勉強した上で認めているのかというと、相当疑わしい。カーナビや原発相対性理論が正しくないと成り立たないとは言うけれど、それも自分が実験して確認したわけでもない。
 そしてそれは仕方がない事なのだと思います。我々が恩恵を受けている全ての科学技術(人文社会科学の技術も当然含む)について自分で確認を取ったらそれだけで何百年かかるでしょうからね。どこかのタイミングで「確認せずに納得」する必要があるのは、知識爆発の起こってしまった現代ではやむを得ない事です。
 ただ、そういう危うさを多少なりとも補うために、部分的にでも原文引用をおこなったりしてみました。もっと良い方法を思いつかれたなら(自分でもこれで十分とは全く思っていないので、きっとあるはずです)、是非ともお教えください。


id:hamamelon

人間の活動が 地球の平均気温上昇というのは 知っているし対策をしなければいけないが 炭酸ガス排出権の売買なるものは 気温上昇と絡めるのはおかしいと思っている。

 排出権取引についてはまた取り上げる必要があると思っているので詳しくは後の課題ということで、ここでは簡単に説明させていただきます。
 あれを単純な売買と受け取るからいかがわしい印象を受けてしまうのです(日本人はそういう部分で特に潔癖症な部分もありますし)。あれは削減技術に対する投資や、活動縮小による排出量削減に対する補償金をかき集めて支払うための手段なのです。たとえば税金を集めて再分配する代わりに、その過程を市場の仕組みを使って実現しようという事です。ただし、それを理解したうえで実際に有効かどうかを経済学的に分析したらやっぱり非効率だった、ということはあり得ます。元ネタとなった経済理論も相当単純な仮定から出発してはいますので。


id:munioka303

なるほど、、、と思ったけど、この人の他のエントリも微妙に中途半端。懐疑論懐疑論を唱えるだけの人か、、、。なんなんだよもう!

 これは懐疑論への懐疑というよりは単なる是正なので、そこのところは同列に扱ってほしくないなぁという思いはありますがそれはそれとして。
 だって正当な気候変動論をしゃべるならIPCCのアセスメントレポートより真っ当なこと言えないんだもーん!というのが正直なところです。いやそういう真っ当な解説も必要だけれど、それはもう私のようなアマチュアではないプロの手になる真っ当な書籍も山ほど出版されているのでそれを読んだ方が良いし、懐疑論にはもちろん行けるわけもなく、懐疑論懐疑論を唱えるのが駄目だとすれば、あとはもう黙るしかないですよねぇ…。
「確認せずに納得」する必要がどこかで生じるとは上で述べたとおりですが、それは自分の責任で行うべきだという事も申し添えておきたいところです。


id:yingze

すいません温暖化問題に詳しそうなので質問なんですが。
ツバルが温暖化に伴う海水面の上昇で水没すると言うのはデマでしょうか?
 まず、そもそも何を以て水没と称するのかが問題です。地理学的な意味で水没するというのが直感的なのと同程度には、人が住み続けられなくなったらその時点で水没、という判断も十分に直感的です。少なくともツバルという国家が水没した、という表現は正当であると私は思います。耕地や住居などがどのように地理的に分布しているかまでは精査していないので何とも言えませんが、人間が住めなくなるのは土地が完全に水没するよりははるかに早い段階であることは言うまでもありません。
 あなたはおそらく地理学的な意味での水没のみをイメージされているのだと思いますが、実際に「水没する」と言っている人が実際にどういう意味でその用語を使っているのかを考えずにあなたの定義だけを振り回すのは、自己満足の域を出ないことでしょう。


 さて、私はこれらの科学分野についてしょせん素人なので、この話が正式な見解だとかお考えにならないようにしていただきたいのですが、そのうえで、IPCCの知見を私が解釈した範囲でお話しします。
1993年から2003年までの衛星観測による海面上昇の地域的なトレンドについては第1作業部会Technical Summaryのpdf(以下TS)の図19をご覧ください。その地図でツバルの位置を確認すると、あまり解像度が高くないので微妙ですが、薄いオレンジか黄色のゾーン、すなわちおおよそ年間3mm程度の海面上昇が観測されている場所にあるようです。これは衛星による絶対的な高さの測定のはずなので、地盤沈下等の相対的な影響はないと考えてよいでしょう。
年間3mmという数値を単純に外挿すると、100年で30cmになります。ツバルの平均海抜をおよそ1.5メートルと考えると、少なくとも今世紀の間にツバルの全陸地が地理学的な意味で水没する事はなさそうです。TS表6が今世紀中の海面上昇予測ですが、全球平均でおよそ20-60cmと、これも整合的ですね。
 しかしそれで終わりというのは早合点。海面上昇が今世紀だけで終わる保証は全くありません。たとえば2100年でバツンと二酸化炭素排出量をカットした時の海水面の変化を予測した図がTS図32です。排出を0にして、気温が実際に2200年ごろをピークに下がり始めたとしてさえ、なお海面は上昇を続けそうだというモデルがいくつかあります(結構ばらつき大きいですけどね…)。いずれにしても、もし温暖化が(人為的であろうがそうでなかろうが)進行し続けたとしたら、数百年後に1メートル以上海面が上昇していてもおかしくないわけです。そうなったとしてもさすがに最高標高の4メートルが丸ごと水没する事態はまずないだろうという予想はしても良いですが、国家として成立するだけの面積はまず残らないでしょうね。
 というわけで質問への回答の結論は、人が住めなくなるレベルでの「水没」なら来世紀以降に起こらないとは限らない、です。特に、人為的な気候変動を抑制しないならばなおのこと。


セレステさん

どっちもどっちという気がしますが。
もう一度、学問の場に戻し、一旦政治は手を引くべきではないでしょうか? 論拠の基になったデータが検証できない(開示されないから)以上そのデータを基にした理論も検証できないのです。 もう一度、今度は検証できる形で再度やり直すべきでしょう。
 論拠の基になったデータが検証できないとの事ですが、件の事件で話題になった以外にもいくつかの気温データセットIPCCの報告書では利用されており、そのいずれもかなり近い結果を出しているので、検証できないというのは事実誤認ではないかと思います。
 科学的決着が付いていない(…とは思わないですが、ともあれ)問題をいかに扱うべきかについては日本に偉大な教訓が残されています。そう、水俣病ですね。チッソは「原因がまだはっきりとは分からない」といって対策の導入を後回しにし、国も同じロジックでこれを黙認し、被害の拡大を引き起こし、もう少しは安くて済んだかもしれない対策費用以上の損失を招いたわけです。
 まだ分からないから対策すべきという意味ではもちろんありません。ただ、「原因がまだはっきりとは分からないから対策をすべきでない」という言説は、公平で正当に見えるかもしれませんが、実のところ、別に公平でも何でもなく特定の政治的な方向性を持った主張に過ぎないのです。それを念頭に、問題にどう取り組んでいくべきかを考えなければなりませんね。